鈴木です。
今回は、私自身4度目の全国高校サッカー選手権大会を終え、残念ながらベスト16で幕が降りましたが2年連続ゴールマウスに立ち続けた吉山太陽との選手とGKコーチの関係性をついて少し話してみようと思います。
吉山太陽との出会い
彼と本格的に関わったのは、彼がスクールに入会してからになりますが。実は、私はスクールに入会するまでに彼には出会っていました。
今でも、はっきりと覚えていますがある日の夏のことです。
萩・石見空港の近くに大きな公園があるのですが、そこへ私は子ども連れて遊びに行ったときです。張り切ってキーパーグローブをつけて友達のシュートを受けている子どもがいるなぁ〜。
今時、公園でキーパーグローブをつけてキーパーをしている子がいるんだぁ〜。自分の小学生時代を思い出す光景を見た瞬間でした。
その時、張り切ってキーパーグローブをつけて友達のシュートを受けていたのが、吉山太陽でした。
彼が、公園で友達のシュートを受けていたプレーを見た時、もちろん上手ではなかったですが本気で必死でシュートに食らい付いていたのを見て、スクールにきてくれないかなぁ〜。と私自身が思った瞬間でした。
そう思って、その場を後にしましたが。
後に、吉山太陽はスクール益田校に入会することになったのです。
左のダイビングが出来ないんです。
吉山太陽が、スクール益田校に無料体験に来た時。スクールの体験に来た理由を本人に尋ねた時。彼は、あっさりと「左のダイビングが出来ないんです」と言いました。
少し人見知りな感じで、あっさりと自分の短所を言ってトレーニングに入っていったことを記憶しています。
その後は、彼の目つきも変わり必死でトレーニングに励んでいました。
彼は、小学4年生からスクール益田校に入会し力をつけていったのです。
タメ語
小学4・5・6年生の約3年間スクールに通う中、素直に真面目にトレーニングを取り組む反面。時にはトレーニング中に無駄話が目立つ時も、、、、。
無駄話が目立つ時はスクールに通ってくれているのに、私も「帰れ!!」と一言。怒ることもありました(笑)
ある時には、タメ語での会話、、、、、(笑)
スクールスタッフの中で今でも話題に出ますが、「太陽が鈴木さんにタメ語で話している時は、僕達の方がソワソワしていましたよ」と笑い話になります。
当時は、それぐらい肝っ玉座っていたんですよねぇ〜。面白いやつでした(笑)
神村学園への旅立ち
吉山太陽が6年生になってその秋。彼がサッカーやゴールキーパーへの意識が急激に変化し、レベルの高いところでサッカーをしたいと相談がありました。
ちょうどその頃私は、神村学園のゴールキーパーの育成事業を行っておりましたので私は考えました。中学年代から、親元を離れ彼が遠い鹿児島の地で頑張ってやっていけるのか?!
彼の実力と人間性が通用するのか?!
私自身も、初めての経験でしたので迷いましたが、彼の人生はあくまでも彼の人生。可能性があるのであればと思い彼に、神村学園への進路提案しました。
彼と彼の家族、そして神村学園の先生方に委ねました。その結果。彼は、神村学園中等部に入学することになったのです。
中学年代から親元を自ら離れることを決め、遠い鹿児島の地で自分を試す決断をとったことは大変だったと思います。
この時私は、彼のとった決断に私にも責任があると思い、彼を必ず活躍できるゴールキーパーに育てると心に誓ったのです!!
第98回全国高校サッカー選手権大会
吉山太陽は、神村学園中等部3年間で力をつけ鹿児島の国体選手にも選ばれ無事中等部を卒業し高等部へと入学。
高等部入学後は、2年生でレギュラーの座を勝ち取り第98回全国高校サッカー選手権大会全国大会に出場したのですが、、、、、。
この全国大会のピッチに立つまでには、たくさんの山あり谷ありで、、、、、。私も鮮明に覚えている年です。この年は本当に太陽も私自身も苦しめられた思い出深い時間でした。
本当に、何をやっても上手く行かない、、、、、。正直こんなに上手く行かないことなんてあるのかと思うぐらいでした。
新人戦は、タイトルが取れず、、、、、。大いにゴールキーパーが失点に関わった新人戦。沖縄インターハイでは、ゴールキーパーが関わった失点をしてしまいPK戦で敗退。
そして、第98回全国高校サッカー選手権大会県大会でもいまいち締まらない形で終え、全国大会までの合宿期間でも課題が多く残されたままで全国へと挑みました。
当時私は、不安な毎日を過ごしていましたが、私が不安に思うぐらいなので、彼はもっと不安になっていたに違いないと思います。全国大会までの期間あとは、心の持ちようなんだと思い。私は彼に開き直れるような言葉がけをしていました。
今の私には、これぐらいのことしかしてやれないと、、、、、。人の心と言うものに本当に苦しめられました。
そして最後に私は彼に、こう言いました。
「俺が、お前を選手権で必ず活躍させてやるから安心しろ。お前は思い切ってプレーをすればいいだけだ!!」と。
この年の、選手権では2回戦敗退でしたが1回戦の強豪校との一戦ではPK戦で勝利することができ、今までの調子の悪さはなんだったんだと思うぐらい活躍する機会が多くありました。
吉山太陽も私自身も、苦しみ学ぶことの多い年で幕が降りました。
第99回全国高校サッカー選手権
この年は、吉山太陽にとって最後の選手権大会となる年でした。新型コロナウイルスが世の中に出回り、インターハイは中止となり選手権もギリギリまで開催されるか不安な年になりました。
トレーニングや遠征も、前年に比べると圧倒的に少なくどうしようもできない状況が続きました。私自身は、太陽がラストの年でしたのでなんとか選手権は開催してほしいと願っていました。
鹿児島になかなかトレーニングを行いに行けなかったため、リモートなどを使い戦術のことを主に行いできる事を行っていました。
選手権の開催が決まり、その準備を残された時間で行うことになりましたが、準備までの残された時間も削られたため多くを望まず、準備を進めていきました。
今年は、昨年と違い調子もまずまずな形で第99回全国高校サッカー選手権大会県大会へ望むことができましたが大会期間中は調子が上がらず、何かがよぎるような形で全国への切符を手に入れました。
全国までの期間もさほど悪くなく、全国大会へ望むことができましが、、、、、。
ただ、、、。
一回戦で、出たぁーーーー!!
太陽の心の弱さ。私からしたら、これも太陽なんですよね。
一回戦は、なんとか仲間に助けられ勝利することができましが。試合が終わり私のところに来た太陽は泣いていました。
自分のミスで失点してしまい、勝てて安心したのか。ミスに不安を感じたのか。色々な思いで涙していたのでしょうが、私は失点してしまった後の太陽の弱気になった表情が許せなく喝を入れました。
どうするんだ?
一緒に去年のリベンジにまたここへ来たんだろうが。
俺は、失点しようがしまいがお前が楽しんでいない顔を見るのは嫌だ。
お前のその弱気な顔を、見るために俺はお前のそばにいるんじゃない。
お前が頑張っている場面、場面を見守り見届けるためにいるんだ。
男になれよ!!!
と。
その後、自分の力で立ち直り2回戦は無失点で勝利することができ、惜しくも3回戦で敗退。
吉山太陽とのラストの選手権に幕が降りました。
このチームでの最後のミーティングがロッカールームで終わり、私は最後までロッカールームに残っていました。
そうすると、太陽が私のところへきてこう言いました。
泣きながら。
今まで、ありがとうございました。
私は、我慢していたものが一気に溢れ出てこう言いました。
6年間よくやったね。お疲れ様。
2人で、胸を張ってロッカールームを後にしました。
ありがとう!!太陽!!
吉山太陽との月日は、思い返すと9年。
終わってみれば早かったです。
でもよく考えると、小学生から大学までの学生期間を考えても、9年って長いですよね(笑)
9年彼に、GKコーチとして携わってきたという自覚は正直あまりありません。
だって、9年間関わるGKコーチっていますか(笑)
もう家族みたいなもんですよ。時には兄貴役。時には父親役。
9年間太陽には、たくさん学ばせてもらいました。そして鍛えていただきました。
私の心に残る選手の1人です。
太陽9年間ありがとう!!!
そして、俺に出会ってくれてありがとう!!!
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